4月28日主日礼拝
『私たちには希望がある』ローマ:8章18-25節
私たちは、イエス・キリストとともに十字架において葬られ、イエス・キリストとともに復活して新しい人生を歩き出した。しかし、この地上においては、苦難を背負って生きていることに変わりはない。それは、神の子どもとされた者の特権であり、その栄光を承継した証だからである。神の子どもとされた特権を与えられたということは、法律的にはその権利及び義務が伴うものであり、神の栄光の恵みを相続するということである。私たちは、苦難を背負いながら、神との約束を待ち望んでいるのである。
①私たちは苦しみを受け止める。なぜなら、将来の栄光に望みを置くからである。
パウロは投獄され、ユダヤ人から5度にわたり39回の鞭を受けた。40回の鞭打ちは死に至るといわれており、その一歩手前の鞭打ちだった。パウロは何度も死に直面したのである。パウロのその苦難は、キリスト信仰の故のことであった。
しかし、パウロはこのような苦しみに対し、「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない。」と語っている。パウロは、闘いの苦しみであったとしても、将来の栄光に望みを託すことができたのである。パウロは、イエス・キリストとの繋がりがりによる試練を受けたとしても、この患難を喜んでいたのである。
患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出す。そして、練達は希望を生み出すのである。パウロは、天のみ国に召されることを知っていたのである。そしてその希望は失望に終わることがない。
②私たちは待ち望んでうめく。なぜなら、からだの贖いに望みを置くからである。
私たちの血肉のからだは苦しみながらうめいている。だからこそ、からだの贖いをも望んでいる。
パウロは、コリントの教会に宛てた手紙で、からだの贖い、すなわち、朽ちないからだへのよみがえりについても語っている。それは、朽ちる血肉のからだを脱ぎ捨て、朽ちないからだによみがえることであり、死ぬことのない栄光の衣に着替えることである。パウロは、病や肉欲の闘いにうめき苦しんでいたが、からだの贖いがパウロの望みだったのである。神との約束は、その霊によって、彼に証印を押されているのである。神の子としての特権や神の国を相続することへの保証なのである。
③私たちはあえて忍耐する。なぜなら、まだ見ていないものに望みを置くからである。
キリスト者は、この世に望みを置いているのではなく、天のみ国に望みを置いている。まだ見ていないけれども必ず実現する約束に望みを置いているのである。なぜならば、永遠に続くものであるからである。この世において責任を果たさないということではない。
私たちは、神の約束に焦点を当てて、自分に与えられた働きを全うする。イエス・キリストが再臨されるときに焦点を当てて、地上における働きを全うしながら、そのときを待ち望むのである。そのときがいつかわからないが、私たちは、この世における患難に耐えながら、後悔がないようにその備えをするべきである。
4月21日主日礼拝
『夜明けの来ない夜はない』ローマ:6章6-20節
久しぶりのfakebookの投稿です。父の死の準備や台風21号による実家の倒壊など、その事後処理を続けてき参りましたが、漸く、その処理のめどが立ちました。まだまだ残された課題はありますが、そのご報告とともに、facebookに投稿した次第です。
今回の投稿は久しぶりのイースター礼拝のメッセージSummaryです。この間の礼拝メッセージをまとめた手書きの原稿はたくさんたまっているのですが、いずれ時間ができましたら、ライフワークの一つとして少しずつ発表していきたいと思っています。
<以下、礼拝メッセージのまとめ>
イースターは、イエス・キリストの十字架の死からの復活を祝う祭りである。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う祭りであり、日本人にも浸透している。しかし、クリスマスほどイースターは浸透していない。イースターはクリスマス以上に、キリスト者にとっては大切な意味をもっているのにである。
礼拝後にイースターエッグを配布されることになっているが、なぜ、イースターとたまごは関係しているのか?たまごの中にはいのちが宿っている。たまごは一定期間を経て、殻を破って孵化し、新しいいのちが誕生する。それはすなわち、イエス・キリストが強固な墓を破って復活することを連想させるのであり。そればかりではなく、イエス・キリストの復活は私たちに新しいいのちを与えるのである。
復活の前提には死がある。死があり復活がある。イエス・キリストの十字架の死があってこそ、そこからの復活が重要なのである。復活のない死は単なる死に過ぎない。イエス・キリストは死んで、葬られ、墓を打ち破って、完全に甦られたのである。それが、イースターであり、私たちの希望と喜びである。
ローマ書6章4節の前半には、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、新しく歩むことができるとある。イエス・キリストの十字架と私たちの人生が深くかかわっている。イエス・キリストの十字架の死とともに、私たちの古い人生は死に、イエス・キリストが3日後に復活したことによって、私たちに新しいいのちが与えられ、新しい人生の再出発を切ることができたのである。古い人生に終止符を打つことは難しい。人はときにして、終止符ではなく、句点を打ちながら、古い人生をずるずると引きずってしまう。この世においては、夜の明けることがない悶々とした日々を過ごしているが、夜明けの来ない夜はないのである。
イエス・キリストは、私たちの罪や咎のために死んでくださったのであり、私たちは、イエス・キリストの十字架の死と復活によって罪を赦されただけではなく、イエス・キリストが死から甦られたように、やがて来たるべきときに、朽ちた肉体は葬り去られ、天の国に入れてもらえる永遠のいのちが約束されているのである。
『夜明けの来ない夜はない』ローマ:6章6-20節
久しぶりのfakebookの投稿です。父の死の準備や台風21号による実家の倒壊など、その事後処理を続けてき参りましたが、漸く、その処理のめどが立ちました。まだまだ残された課題はありますが、そのご報告とともに、facebookに投稿した次第です。
今回の投稿は久しぶりのイースター礼拝のメッセージSummaryです。この間の礼拝メッセージをまとめた手書きの原稿はたくさんたまっているのですが、いずれ時間ができましたら、ライフワークの一つとして少しずつ発表していきたいと思っています。
<以下、礼拝メッセージのまとめ>
イースターは、イエス・キリストの十字架の死からの復活を祝う祭りである。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う祭りであり、日本人にも浸透している。しかし、クリスマスほどイースターは浸透していない。イースターはクリスマス以上に、キリスト者にとっては大切な意味をもっているのにである。
礼拝後にイースターエッグを配布されることになっているが、なぜ、イースターとたまごは関係しているのか?たまごの中にはいのちが宿っている。たまごは一定期間を経て、殻を破って孵化し、新しいいのちが誕生する。それはすなわち、イエス・キリストが強固な墓を破って復活することを連想させるのであり。そればかりではなく、イエス・キリストの復活は私たちに新しいいのちを与えるのである。
復活の前提には死がある。死があり復活がある。イエス・キリストの十字架の死があってこそ、そこからの復活が重要なのである。復活のない死は単なる死に過ぎない。イエス・キリストは死んで、葬られ、墓を打ち破って、完全に甦られたのである。それが、イースターであり、私たちの希望と喜びである。
ローマ書6章4節の前半には、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、新しく歩むことができるとある。イエス・キリストの十字架と私たちの人生が深くかかわっている。イエス・キリストの十字架の死とともに、私たちの古い人生は死に、イエス・キリストが3日後に復活したことによって、私たちに新しいいのちが与えられ、新しい人生の再出発を切ることができたのである。古い人生に終止符を打つことは難しい。人はときにして、終止符ではなく、句点を打ちながら、古い人生をずるずると引きずってしまう。この世においては、夜の明けることがない悶々とした日々を過ごしているが、夜明けの来ない夜はないのである。
イエス・キリストは、私たちの罪や咎のために死んでくださったのであり、私たちは、イエス・キリストの十字架の死と復活によって罪を赦されただけではなく、イエス・キリストが死から甦られたように、やがて来たるべきときに、朽ちた肉体は葬り去られ、天の国に入れてもらえる永遠のいのちが約束されているのである。
父の思い出の品を整理していたところ、H家の系図を発見しました。1570年に始まるH家の系譜です。そこで、私が連想したのが聖書の記述です。
聖書は旧約聖書と新約聖書とを合わせて六十六巻から構成される書物です。イエス・キリストの生誕までの記述が旧約聖書であり、イエス・キリストの生誕後の記述が新約聖書です。
新約聖書の第一巻はマタイというイエス・キリストの十二弟子のひとりによって著述された福音書ですが、その冒頭、信仰の父と呼ばれるアブラハムに始まり、ダビデの子孫からイエス・キリストに至るまでの四十二代の系図が記されています。この系図は、アブラハムからダビデまでの十四代、ダビデからユダヤ人が捕虜としてバビロンに連行されるまでの十四代、バビロン捕囚からイエス・キリストまでの十四代の合わせて四十二代が列挙されていますが、イエス・キリストの系図は単に歴史的事実を羅列しているのではなく、旧約時代の神の契約がイエス・キリストによって成就されるのであり、その証の足跡なのです。
H家の菩提寺はもともと佐賀県にありましたので、そこにあった過去帳や関連資料から転記して、H家の系図が作成されたものと推察しています。
私の記憶では、H家の系図は、私の祖父の代までが記載されていましたので、そのことからすると、代々のH家の子孫が系図に書き加えていったものと思います。
しかし今回、私が発見したその系図を見ると、H家のキリスト信仰の初穂となった祖父がキリスト信仰を受け容れるに至った詳細な経緯と、父自身がキリスト信仰を受け容れた経緯について書き加えられていました。
父は、私たち子どもたちに、キリスト信仰の承継について、昔からことあるたびに教え諭してきました。これは、現在に至るまで、遺言のように言い続けていたことです。
父のことを思いつつ、ふと、猿岩石のヒット曲、「白い雲のように」という楽曲を思い出しました。猿岩石は当時一世を風靡した芸能人ですが、その後、衰退の一途をたどることになります。その楽曲の中に、「白い雲のように」という作品があるのですが、その中でこのように歌われています。“風に吹かれて消えていくのさ、僕らの足跡。風に吹かれて歩いていくのさ白の雲のように”と。
私たちの人生は、白い雲のように風に吹かれて消えていくむなしいものです。しかし、風に吹かれて消えていったとしても、主イエス・キリストとともに歩んでいくことの重要性を伝えたいのです。なぜなら、そこには希望があるからです。
私は、父の業績や成し遂げてきたことを紹介するつもりはありません。H家の系図は、単に平尾家の栄枯盛衰を記載しているものですが、キリスト信仰を証していくための足跡だと思っています。今後、信仰の系譜を私たちが受け継ぎ、この系図を書き加えていきたいと思っています、そしてさらに、私の下の世代にキリスト信仰の承継を引き継いでいきたいと思っています。
聖書は旧約聖書と新約聖書とを合わせて六十六巻から構成される書物です。イエス・キリストの生誕までの記述が旧約聖書であり、イエス・キリストの生誕後の記述が新約聖書です。
新約聖書の第一巻はマタイというイエス・キリストの十二弟子のひとりによって著述された福音書ですが、その冒頭、信仰の父と呼ばれるアブラハムに始まり、ダビデの子孫からイエス・キリストに至るまでの四十二代の系図が記されています。この系図は、アブラハムからダビデまでの十四代、ダビデからユダヤ人が捕虜としてバビロンに連行されるまでの十四代、バビロン捕囚からイエス・キリストまでの十四代の合わせて四十二代が列挙されていますが、イエス・キリストの系図は単に歴史的事実を羅列しているのではなく、旧約時代の神の契約がイエス・キリストによって成就されるのであり、その証の足跡なのです。
H家の菩提寺はもともと佐賀県にありましたので、そこにあった過去帳や関連資料から転記して、H家の系図が作成されたものと推察しています。
私の記憶では、H家の系図は、私の祖父の代までが記載されていましたので、そのことからすると、代々のH家の子孫が系図に書き加えていったものと思います。
しかし今回、私が発見したその系図を見ると、H家のキリスト信仰の初穂となった祖父がキリスト信仰を受け容れるに至った詳細な経緯と、父自身がキリスト信仰を受け容れた経緯について書き加えられていました。
父は、私たち子どもたちに、キリスト信仰の承継について、昔からことあるたびに教え諭してきました。これは、現在に至るまで、遺言のように言い続けていたことです。
父のことを思いつつ、ふと、猿岩石のヒット曲、「白い雲のように」という楽曲を思い出しました。猿岩石は当時一世を風靡した芸能人ですが、その後、衰退の一途をたどることになります。その楽曲の中に、「白い雲のように」という作品があるのですが、その中でこのように歌われています。“風に吹かれて消えていくのさ、僕らの足跡。風に吹かれて歩いていくのさ白の雲のように”と。
私たちの人生は、白い雲のように風に吹かれて消えていくむなしいものです。しかし、風に吹かれて消えていったとしても、主イエス・キリストとともに歩んでいくことの重要性を伝えたいのです。なぜなら、そこには希望があるからです。
私は、父の業績や成し遂げてきたことを紹介するつもりはありません。H家の系図は、単に平尾家の栄枯盛衰を記載しているものですが、キリスト信仰を証していくための足跡だと思っています。今後、信仰の系譜を私たちが受け継ぎ、この系図を書き加えていきたいと思っています、そしてさらに、私の下の世代にキリスト信仰の承継を引き継いでいきたいと思っています。
父の容態の現状ですが、今日はずっと苦しいと言っていました。相変わらず酸素濃度が低く、全身に浮腫(むくみ)が生じているからだと思います。素人考えでは、癌細胞が肺にまで転移し、呼吸器の機能が低下していると思っていましたが、私の糖尿病の主治医に父の容態を説明したところ、心不全ではないかと言われました。なるほど、心臓は、全身に血液を送りつづける機能を果たしていますので、その機能が低下すると、全身の内臓やその組織に血液を送ることができなくなり、あらゆる臓器の機能に不全を来たらします。肺の機能が低下すれば、当然呼吸困難も生じますし、血液が滞留すれば、全身が浮腫み、いずれ、その他の臓器も機能しなくなるでしょう。癌はじわじわと命を縮めますが、心不全となると突然に何が起こるかわかりません。母には、父が癌の末期症状で、余命数か月であるということをこれまで言わずに来ましたが、父の容態をみると、数か月、数週間というレベルではなく、数日単位で考えないといけないと思いました。母もすでに感じていると思いますが、いつ召されるかわからないと告げるつもりです。父も、もう長くはないと言っていましたが、何も心配することはない。この苦しみはイエス・キリストの十字架の苦しみに比べると取るに足らない、その苦しみをいま体験しているのである。父の死はすでに勝利していると励ましました。すべてのことは神の御手に委ねています。
10月7日主日礼拝
『それでも信仰の父と言えるのか』 (神を信頼する者の旅路)
創世記:12章10-20節
キリスト者のあるべき姿を学んでいる。聖書は人間の姿をありのままに描写している。イスラエルを統一したダビデ王やソロモン王の人間的な弱みや欠点をも美化することなく、洗い浚いにスクープしていることからしてもそう思うのである。信仰の父と言われているアブラハムの生涯もまた然りである。人間はすべからく、罪に濡れ汚れる存在であるからである。イエス・キリストは、神の子であり、罪なく汚れのない存在でありながら、人間として生を受け、肉体的にも精神的にも人と同じ苦しみを味わった。神の愛による召しとはいえ、最終的には、人間の罪のためにその命を十字架にささげたのである。だからこそ、イエス・キリストは、肉体的にも精神的にも人間の痛みを知ってる、人間の救世主といわれるの所以なのである。
今朝のメッセージは、信仰の父と言われるアブラハムの話である。アブラハムは、イスラエルの民の約束の地はカナンの地にあると、神から啓示され、まずは最初の祭壇をシェケム(エルサレムの北方約50km)に築いた。その後、様々なところで、アブラハムは、祭壇を築いていると聖書は記している。その後、ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってエジプトへ避難した。当時のエジプトは、環境的にも経済的にも魅力な街であったが、アブラハムは、約束の地はここではないことは承知していたものの、彼の判断で、一時的にエジプトの地に逃れたのであった。
アブラハムの妻サラは、見目麗しい女性だった。その麗しさは、エジプトの高位高官らも関心を示すほどであり、ファラオ王のお妃候補に挙げらるほどであった。アブラハムは、一時的な保身のため、自分の妻を妹であると王に申し述べ、結果、アブラハムは、ファラオから羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどの財が与えられることになる。アブラハムとサラとの関係は、異母兄妹であり、夫婦関係にあったと言われている。当時としては、一族の財産を維持するために、このような人間関係はよくあることであった。だから、アブラハムのファラオ王に対する発言は、歴史的な事実からすると、真っ赤な嘘とは言わないまでも、薄桃色の嘘に過ぎないのである。その後、サラはアブラハムの妻であることがファラオ王に知られることになり、アブラハムたち一行はエジプトから追放されることになる。本来なら、エジプトの王に対する裏切りは、死刑に相当すると思われるのだが、なぜかファラオ王は、アブラハムらを追放することで収まった。信仰の父と言われるアブラハムは、異教徒のファラオ王にその過ちを指摘されるに留まったのである。神の御心は、約束の地がエジプトではなくカナンであったからである。カナンの地は、決してエジプトのような魅力的はところではなかった。だからゆえに、アブラハム一行は40年間も荒野を彷徨い、約束の地に到達するのである。
このような人間的な弱さも持ち合わせていたアブラハムが今でも信仰の父と言われるのは、ただただ、神の憐みのゆえである。
つづく
『それでも信仰の父と言えるのか』 (神を信頼する者の旅路)
創世記:12章10-20節
キリスト者のあるべき姿を学んでいる。聖書は人間の姿をありのままに描写している。イスラエルを統一したダビデ王やソロモン王の人間的な弱みや欠点をも美化することなく、洗い浚いにスクープしていることからしてもそう思うのである。信仰の父と言われているアブラハムの生涯もまた然りである。人間はすべからく、罪に濡れ汚れる存在であるからである。イエス・キリストは、神の子であり、罪なく汚れのない存在でありながら、人間として生を受け、肉体的にも精神的にも人と同じ苦しみを味わった。神の愛による召しとはいえ、最終的には、人間の罪のためにその命を十字架にささげたのである。だからこそ、イエス・キリストは、肉体的にも精神的にも人間の痛みを知ってる、人間の救世主といわれるの所以なのである。
今朝のメッセージは、信仰の父と言われるアブラハムの話である。アブラハムは、イスラエルの民の約束の地はカナンの地にあると、神から啓示され、まずは最初の祭壇をシェケム(エルサレムの北方約50km)に築いた。その後、様々なところで、アブラハムは、祭壇を築いていると聖書は記している。その後、ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってエジプトへ避難した。当時のエジプトは、環境的にも経済的にも魅力な街であったが、アブラハムは、約束の地はここではないことは承知していたものの、彼の判断で、一時的にエジプトの地に逃れたのであった。
アブラハムの妻サラは、見目麗しい女性だった。その麗しさは、エジプトの高位高官らも関心を示すほどであり、ファラオ王のお妃候補に挙げらるほどであった。アブラハムは、一時的な保身のため、自分の妻を妹であると王に申し述べ、結果、アブラハムは、ファラオから羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどの財が与えられることになる。アブラハムとサラとの関係は、異母兄妹であり、夫婦関係にあったと言われている。当時としては、一族の財産を維持するために、このような人間関係はよくあることであった。だから、アブラハムのファラオ王に対する発言は、歴史的な事実からすると、真っ赤な嘘とは言わないまでも、薄桃色の嘘に過ぎないのである。その後、サラはアブラハムの妻であることがファラオ王に知られることになり、アブラハムたち一行はエジプトから追放されることになる。本来なら、エジプトの王に対する裏切りは、死刑に相当すると思われるのだが、なぜかファラオ王は、アブラハムらを追放することで収まった。信仰の父と言われるアブラハムは、異教徒のファラオ王にその過ちを指摘されるに留まったのである。神の御心は、約束の地がエジプトではなくカナンであったからである。カナンの地は、決してエジプトのような魅力的はところではなかった。だからゆえに、アブラハム一行は40年間も荒野を彷徨い、約束の地に到達するのである。
このような人間的な弱さも持ち合わせていたアブラハムが今でも信仰の父と言われるのは、ただただ、神の憐みのゆえである。
つづく