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Summary(10/06/13)

『男の責任について』
(1テモテ / 2章 8-15節)

6月13日主日礼拝

来週は父の日である。母に感謝する「母の日」と同様、父に感謝する日が「父の日」である。
父の日に因んで、「男の責任」というテーマが聖書からのメッセージであった。
父に感謝する日なのだから、父親を励ますとか労うというテーマであるなら話はわかるが、男の責任となると何か重いテーマと思われるかも知れない。

父親の務めを果たすためには、その前に、良い男、良い夫でなければならない。男として成長することが、夫として成長することであり、父親として成長することである。さらに、父親が成長するということは、男性だけでできるものではなく、妻、子、家族のみんなが成長していくことが大切なのである。

私たちが、主イエス・キリストを信じてクリスチャンになるということは、決して特別な人になるということではない。創造主である神が男性を創造したということは、男性の中に男性らしさを回復し、男性らしさを目指していくことであり、人生の目標なのである。これはまた女性も同様のことである。

男の責任とは、一体何だろうか。家族を養うこと、働くこと、闘うことが一般的なイメージである。クリスチャンの男性のイメージは、やさしく、まじめで、おとなしいと思われているが、それは、裏返すと、弱いということかも知れない。ここで心にとめたいのは、パウロが男性の責任として祈ることの大切さを教えていることである。

“ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。”1テモテ / 2:8

これは、パウロが同労者テモテに宛てた手紙である。テモテは、パウロに導かれて回心し、パウロの愛する忠実な息子と言われている。
パウロは未婚者であったが、男の先輩として若いテモテに対し、男はこうあるべきと教えているのである。すなわち、クリスチャンの男性は、祈る者となることが一つの目標であると教えているのである。その教えは、パウロが男として悩んできた経験であり、男として目指してきたことである。その教えは既婚者であっても、また女性に対してであっても、当てはまる教えなのである。

パウロは私たちに、“祈る男性”になりなさいと語っているのであり、その3つのポイントを学ぶ

1.怒りの感情から解放される
パウロの手紙には、男は怒ったり言い争ったりすることなく、と記されている。怒るよりも、言い争うよりも、むしろ、祈りなさいと語っているのである。
怒りは男性だけの問題ではない。誰でも無関係のことではなく、怒りは決して悪いものではない。怒りは私たちがみな経験することである。
しかし、怒りの感情は、特に男性にとっては大きな課題である。男性は心の中に、説明することが難しい怒りを抱えている。
男は、自分の中にある怒りの問題に苦み、ストレスに現れることが多い。ストレスの現れが不機嫌となり、無口になり、回りの人に悪影響を及ぼすこともある。
私の経験として、妻から何を怒っているのと言われ、イライラして、語気を強めて、「怒っていない」と言い返すこともあった。
男の怒りは、女性には理解できない問題かもしれない。だからパウロは、男は怒ることなく、言い争わないで祈りなさいと語っている。私たちは、自分の怒りをどうすることもできない。そんな自分が、祈ることにより怒りから解放されるのであり、守られるとパウロは語っている。そして、祈る者のモデルとしてイエス・キリストがおられるのである。

2.表面的な男らしさに囚われることがない
祈る男は、表面的な男らしさに囚われることがないということである。
パウロは、どこででも祈るようにしなさいと語っている。男は、自分の隠れ家を持ちたいと思っている人種であるが、それは、妻に隠れて悪いことをしたい思っているのではなく、純粋に自分の自由な空間を持ちたいと思っているのである。
筆者(ぴいくん)は、妻には自分の弱さを見せたくないと思っているので、自分の弱さを告白するような祈りは何となく気が引け、きまりが悪いので、自分の自由空間が欲しいと思っているのであるが、なにぶん狭い家なので、自由空間で祈ることは現実的には中々難しい問題である。妻に、自分の隠れ家を主張するなら、何かいかがわしいことに使用するのではと疑われるに違いない。しかし、パウロはここで、プライドなど表面的な男らしさに拘泥することなく、堂々と祈る者となるべきだと教えているのである。

3.心とからだを汚すものに打ち勝つ
初代教会は、祈りについてはユダヤ教の様式を受け継いでいた。
祈る者は聖い手を前に伸ばし、手のひらを上に向けて立ったままの姿勢で祈った。
祈ったのちに神殿を出て行くと、口が渇かぬうちに、手を汚すようでは、その祈りに真実味がないからである。
また、ユダヤ人がエジプトから逃れるとき、モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、ユダヤ人の行く手を阻むアマレク人が優勢になったのである。祈りの手を挙げることは、心やからだだけでなく、自分の人生を妨害するあらゆる問題について、打ち勝つ力を与えられるのである。

祈りは、私たちに力を与えるものである、祈る者になることこそが私たちの目指すところである。イエス・キリストが私たちに模範を示したように私たちは祈る者とならなければならない。

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プロフィール

ぴいくん

Author:ぴいくん
生年月日 1961年生まれ
宝塚市在住
性別 ♂
身長 164cm
体重 75㎏ 理想 59.2㎏

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