2012/04/22
Summary(12/04/22)
4月22日主日礼拝「失われた人を捜し求める主イエス」(イエス・キリストに従う(11))
ルカによる福音書 / 19章1-10節
だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。
人生は出会いで決まるという言葉は有名である。ユダヤ人の哲学者マルティン・ブーバーの言葉である。私たちも出会う人によって、その人生が大きく変わるだろう。
今朝、イエス・キリストと出会ったことによって、新しく生まれ変わったザアカイの話を紹介する。ザアカイとイエスとの出会いのできごとをモデルとして、私たちは何によって心を満たそうとしているのか。また、イエスキリストは私たちにどのように接して下さっているのかを考えてみたい。
ザアカイは、今から2000年ほど前の人物であり、エリコの町に住んでいた金持ちであった。エリコという町は、ヨルダン川から死海に注ぐ川口の北西に位置する町である。
現代でも、エリコに関するニュースをときどき耳にするが、いわゆる、ヨルダン川西岸の地区である。パレスチナ人とイスラエル人が混在する地域であるり、今では、この地域に観光で入ることはなかなか難しいようである。ただ、この地域を熟知している案内人などによっては、この地に入ることもできるようである。
エルサレムからエリコの町に入るためには、エルサレムの東側部にある山道を辿らなければ入ることができなかった。よきサマリヤ人の譬えでもあるように、エリコへ辿る途中で強盗に襲われるという例が出てくるが、エリコは古くからの交通の要所であったようである。ザアカイはそこで税を徴収する徴収官のような仕事をしていた。税を徴収する仕事自体は重要な仕事である。しかし当時の取税人は、その立場を利用して、必要以上の税を集めて私腹を肥やしたので、人々からたいそう嫌われていた。ザアカイは取税人の頭であり、彼自身も人々から税を騙し取っていたと告白している。したがって、ザアカイも当然に人々から嫌われていただろうし、人間関係を築くには難しい状況にあったと想像する。
-つづく-
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